新生活
このタイトル何回目?
転職して1ヶ月経ち、今は穏やかに勉強しながら働けています。
あー、こんなにみんな優しくて穏やかな職場って存在したんだ……って大阪の頃と比べてしまいます。
ここで穏やかに働きたい。
その分私生活はダメダメで旦那さんにはよく怒られます……少しでも家事を以前通りやって仕事も家事もやり切れる人になりたいです。
今年度は休まず24時間営業で頑張ります。
年明けてた
関西から引っ越して、気がついたら1年経ってた。
去年は土地に慣れるのに精一杯で、関西にいた時とは違う涙を流して過ごした。
毎日最悪の予想が自分に来ることを願って寝て、願って昼間を生きてきた。
結果的には今も生きていて一つ目標が決まった。
やりたい仕事がある。
また関西にいた頃みたいにお風呂にも入らない、歩くことも話すこともできない状態になるんじゃないかと不安もあるけど、同棲しているパートナーは絶対正社員で毎月20万近くは稼いでくれないと無理だと1年間休むことなく言い続けた。
そんな時にやっと見つけたやりたいことだったから、もし叶うならそこで働いて知識を身につけたいって思う。
ネガティブ人間が少しだけ前を向けた気がする。
今年はまたブログを再開したいな。
また一つやりたい方が見つかったね。
あつーってね
だいぶ日にちが空いてしまった……
最近は英語を勉強したり、自分の中でなにか変化があります。
自分がいるイメージがある場所へ挑戦してみることにしたので、そのために無意識に頑張れてるのかもしれません。
ネガティブな私にとっては結果がどうなれどいい傾向にあるんじゃないかなと思ってます。
暑い夏は嫌いです。
でも夏のあっつい中お昼寝して「あつーー」って嫌そうな声を出すのは好きです。
ご飯の思い出
子どもの頃、ご飯が食べられなかった。
別に親から食事を与えられなかった訳ではなくて、自分の意思の問題で食べることができなかった。
朝は何を用意してもらっても白米二口と梅干しを食べて、あとは排水に押し込んで捨てたりゴミ箱に捨てたり、口に押し込んでくしゃみする振りしてティッシュに出して捨てていた。
味噌汁は好きだから飲んでいた。
昼は給食が小中であった。お腹はすいてるはずなのに食べられなかった。
お魚と牛乳は大丈夫で、カレーとかの丼物にできる汁物も勢いがつけられたら大丈夫。
でもお肉はまるっきり食べられなかった。
野菜も歯に当たる摩擦が気持ち悪くて学校給食のは舌に乗せることもできなかった。
夜は一日の中で一番食べられる時間だった。
野菜や筑前煮が好きでちまちま食べた。白米やほかのお肉が出ると食べられなかった。
お魚が出ると何時間かけてもゆっくり自分の納得がいくまで食べた。
高校に上がってお弁当になると、手のひらサイズのタッパーに2分で食べられそうな量を詰めて持っていった。それでも食べ切ることが出来ず残した。
思い出すとなんて失礼でもったいない生き方をしてきたんだろうって悲しくなる。
偏食ではなかったと思うけど周りからは偏食だと怒られて食べる気がますます無くなった気がする。
今は自分の好きなお魚や野菜を中心とした食事を作ることでお残しせずにいられている。
それと、気に入ったスープが見つかった。
コーンクリーム
人生が変わる味
赤味噌の味噌汁
実家では合わせ味噌だったから新鮮な味
野菜いくら入れてもごまかせる万能さ
明日は他にも好きになれる食べ物が出てきたら嬉しい
思い出
私は障害者と診断されたことがありません。
ですが、小学生の頃から周りの考えないようなことを話したり動いたり作品を作っていたようで、周りからは「チテショー」と言われていました。
それがなんのことか分からずにいた私に、隣の席の男の子は、
「お前ってまじチテショーだよな」
と笑いながら当たり前に人に言う言葉と思わせる口調で言ってきました。
「チテショーって何?」
と別に問い詰めるつもりもなく単純に気になることはとことん知りたいタイプの私はこう聞いたのですが、その子はとても嫌そうな何か隠していたいような顔をしたんです。
そして、ポソッと言いました。
「知的障害だよ」
それは他人には言いにくい言葉と分かっていながら、なぜ私には笑いながら当たり前に人に言う言葉と捉えられてしまう顔で言ったのか、今でも不思議です。
小学生だから。とか
ネタで笑い合える関係性だから。とか
こいつになら言っていい言葉だ。とか
私にはよくわからなくて、その子とは違ったなんとも苦しいような難しい気持ちになりました。
その瞬間、もし私が怒ったら、
当事者の方と同じだと思われたくないと思っているなんて嫌だし、
こんな子でも普段の優しい一面を知っているから悲しませたくないし、
私って人に怒っていい人じゃない。
この子にとっては「チテショー」は当たり前なんだ。
と考えていました。
でも親戚の子が浮かんできてイライラした。
考えて考えて悶々悶々……
私の通う小学校は週末に「先生、あのね」という日記を書き習慣がありました。
たまに授業の時間が余った時に名前は伏せて読んで、こんなことあったんだー!って楽しむ時間もありました。
私は「チテショー」のことが頭から剥がれずにいたので、先生はどうだろうか?と疑問に思い、誰に言われたとかは書かずに書きました。
すると週明け、
先生が月曜日なのに「先生、あのね」を読む時間を設けました。
何を食べたどこでだれと遊んだ、小学生らしい「先生、あのね」を読んで聞かせてくれてとても楽しかった。私のは先生に対する質問だから読まれないだろうと思った時、先生は私の日記を読み始めました。
先生は感受性豊かで嬉しくても悲しくても怒っても涙を流すことがある先生でした。
周りの大人はそれを「すぐ泣くやつね」と馬鹿にしていましたが、私はその先生の優しさに何度も憧れて、時には思い出して家で一人先生を思い泣きました。
その先生が私の「先生、あのね」を読んで泣き始めたのです。
そして、こんなことは絶対に言ってはいけない。と言いました。
やっぱりそうだよね。
だめだよね。
と先生を見つめました。
その子は私に「チテショー」と言わなくなったけど、変わらず話してくれてました。
少しだけ後ろめたい顔をする時もありましたが……
その子からしたら周りから指摘されるようなことを言ってしまった相手が先生にチクった人だからちょっと後ろめたくなるのもわかります。
でもそれで「チテショー」なんて言葉を使わない人になっているなら悪くないのかなと思ってしまいます。
悪い人です。
穏やかに過ごしたい
おはようございます
だいぶ間が空いてしまいました。
その間好きだと言い続けていた方とお付き合いすることになって、
この人のために生きていたい
と、思うようになりました。
お仕事にも毎日行けるようになりました。
どんな時も一度受け入れて自分の意見を伝えてくれる人です。
私は重度の猫かぶり(八方美人とも言う?)なので家族にも素直に話をすることが出来なかったのですが、この人の前では穏やかに気持ちを伝えたりものの捉え方を気にせず喜んだり驚いたり悲しんだりできます。
考え方、捉え方、受け入れ方、どれをとっても尊敬できる方です。
依存癖の強い私はまた依存のような部分が出てきてしまうけど、1度抑えて。
私が無視されると思ってる時、相手は相手の都合があると習ったから、それを思い返して対応しようと気をつけています。
今とても穏やかです。
なのに、
それでも死にたくなったり怖くなったり身体の不調に怖いのにこれなら自殺では無いから文句いわれないんじゃないかって考えてしまう時分が大半を占めている。
生きたい人がいる
そんなのはわかっています。だからこの考えを生きたい人の目に止まるかもしれないところに残すのは間違っているんだと思います。それでも、ここで話す時は許してほしいと思ってしまっています。
良くないです。
あかるく穏やかに過ごしたい
ぴっぴこぴ